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ブラジルでは、厳かに新年を迎えるということはない(ように思う)。カトリックの国だけあって、むしろナタゥ(クリスマスのこと)を厳かに祝うという印象が強い。ブラジルの人々は、12月25日午前零時になるのを待って、街中で花火を打ち上げてキリストの生誕を祝い、TVではバチカンの礼拝が生中継される。
ブラジルに住み始めた当初、私と妻はこの文化を知らないまま、「ナタゥなので夕食を準備するから」と、ある家族に招待された。 ちょうど生後間もない赤ちゃんがいたので、準備に手間取り、友人宅に着いたのが確か20時前だった。ところが、着いてみると、夕食が振舞われる気配が一向にない。 それで、私と妻は、「きっと、来るのが遅すぎて、もう夕食は皆済ませて片付けちゃったんだよ。お腹すいちゃったねぇ。」と顔を見合わせていた。 そうして、22時にもなると、10数名が集まって賑わいでいる環境のせいで、泣き始めた。寝たいのに寝られないからぐずっているのはあきらかだった。 私たちとしても、もはや夕食がでるわけでもなく、ただ他に招かれた客たちが雑談しているだけで、なんとなくその場にいる意味を感じられていなかった。 そこで、ここぞとばかりに、「もう赤ちゃんがぐずっているので、今日はそろそろ失礼したいと思います。」と、そこのドナ(女主人)に切り出した。 「えっ、もう行くのか。まだまだこれからなのに。」とドナ。 私たちは、客が帰るときに「もう帰るのか?まだ早いのに」というブラジル人のお決まりのあいさつだと思い、「いえ、でも赤ちゃんもぐずっていますし、寝たいようですから。あんまり遅くなっても、道中が危ないので。」と言った。 するとドナは「それならしょうがないね。せっかく夕食が用意できているから、じゃあなたたちは先に食べて帰ったらいいよ。」と言ってくれた。 私たちは、「あれっ、夕食は皆まだ食べてなかったんだ?!」とそのときは不思議に思いながら、出された夕食を頂いてから、その場を失礼したのだった。 25日午前零時にナタゥを祝うのがブラジルの慣習なのだ、と認識するに至ったのは、それからまだずい分、後のことだった。 ナターゥを祝うために招かれながら、午前零時を待たずして「もう夜も更けましたから」と言って、その場をおいとまして来たとは、今から思うと、ずい分トンチンカンなことをしたものだ。これは、ブラジル人に言うと必ず大うけする笑い話となっている。 |
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