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ブラジルに住んでいると、ブラジルは「かかあ天下」だなと思うシーンによく出くわす。
日本なら、既婚女性に対して、「奥さん」と呼ぶけれど、ブラジルの場合はドナ(女主人)という敬称を使う。たとえば、既婚者のマリアさんなら、ドナ・マリアという具合。この敬称が、実際の女性の地位を物語っているかと感じるはおそらく私だけではないだろう。 ここパンタナールの町コルンバは、田舎なので、大概の人はのんびりと暮らしている。夕方になると家の前に椅子を出してきて、涼みながら雑談を楽しんでいる人々の姿も多い。 私の見る限り、基本的にダンナさんはのんびりしていて、奥さんがその分キビキビと動いている。それが、ブラジル人男性は奥さんから尻をたたかれる、という構図を生み出しているように感じている。 私の妻が鉢植えを買うというので、一緒に買い物に行ったときのことだ。 そこのご主人は体格もよく迫力のある人だった。ところが、その主人が奥に引っ込んだかと思うと、数分もしないうちに、そこのドナが「コンピュータなんかやってないで、表に出てきて。いそがしいんだから!」といった感じで、ドナっていた。 いそいそと出てくるご主人。 さて、妻が観葉植物を一つ選んだ後、もう一つ別の鉢植えを探しているときに、その主人が私に尋ねてきた。「どの鉢に入れたい?」 「ああ、自分はついて来ただけだから、それは私の妻が決めますよ。」 と答えると、そこの主人はしみじみと、 「どこの世界でもそうだ。ドナが決めるんだよなぁ。」 と言った。 「日本では多くの家庭で、財布は奥さんがにぎっていると言われてますよ。ブラジルでもそういう家庭が多いのか?」と尋ねると、 「そういう家庭は多いよ」と反応してきた。 さらに突っ込んで、「ブラジルでは『最後の言葉を発するのはうちのかみさん(つまり最終決断するのは奥さんという意味)』という言葉を聞くことがあるけど?」と確認すると、 そのご主人は、「そうそう、まさにそうなんだよ」と言っていた。思わず笑ってしまうぐらいに、かかあ天下の構図にハマっているご主人だった。 ブラジル人女性は、まさにドナ(女主人)と思う。 |
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ブラジルでは、カーザ・デ・ロッテーリアと呼ばれる宝くじの店が多い。
人口10万人のコルンバ市にも中心部に少なくとも4箇所はあり、終日人々が列をなしている。また、テレビでも宝くじの宣伝をよく目にする。 ブラジルに住み始めた当初、日中から大の大人たちが宝くじ屋に列を成しているのを見ながら、「仕事もなくて、宝くじを買うためにこんなに列をなしているなんて、悲惨だな」と思っていた。 ところがブラジル生活に慣れてくると、宝くじ屋がにぎわっているのには、別の理由もあるということが、分かるようになった。実は、宝くじ屋はただ宝くじを扱っているだけではなく、水道代や電話代などの公共料金の支払いの銀行代行業務をしているのだ。 ブラジルでは、銀行の窓口にはいつも長蛇の列ができており、1時間も待たされるということもざらにある。かといって、ブラジル人はどうも公共料金の自動引き落としを好まないらしい。何事も支払いはできる限り遅らせたいようで、後日引き落としの小切手の普及率も高い。 そこで、支払い業務を手際よくこなしてくれるこの宝くじ屋が人気なわけ。ただし、宝くじ屋の店員はちょっと曲者。支払った公共料金のレシートを渡すときに、さりげなく「宝くじを買っていきたくないのか?」とよく尋ねてくる。この問いかけに、宝くじ好きの人は、おもわず余分な出費をしてしまうようだ。 |
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ブラジルでは、厳かに新年を迎えるということはない(ように思う)。カトリックの国だけあって、むしろナタゥ(クリスマスのこと)を厳かに祝うという印象が強い。ブラジルの人々は、12月25日午前零時になるのを待って、街中で花火を打ち上げてキリストの生誕を祝い、TVではバチカンの礼拝が生中継される。
ブラジルに住み始めた当初、私と妻はこの文化を知らないまま、「ナタゥなので夕食を準備するから」と、ある家族に招待された。 ちょうど生後間もない赤ちゃんがいたので、準備に手間取り、友人宅に着いたのが確か20時前だった。ところが、着いてみると、夕食が振舞われる気配が一向にない。 それで、私と妻は、「きっと、来るのが遅すぎて、もう夕食は皆済ませて片付けちゃったんだよ。お腹すいちゃったねぇ。」と顔を見合わせていた。 そうして、22時にもなると、10数名が集まって賑わいでいる環境のせいで、泣き始めた。寝たいのに寝られないからぐずっているのはあきらかだった。 私たちとしても、もはや夕食がでるわけでもなく、ただ他に招かれた客たちが雑談しているだけで、なんとなくその場にいる意味を感じられていなかった。 そこで、ここぞとばかりに、「もう赤ちゃんがぐずっているので、今日はそろそろ失礼したいと思います。」と、そこのドナ(女主人)に切り出した。 「えっ、もう行くのか。まだまだこれからなのに。」とドナ。 私たちは、客が帰るときに「もう帰るのか?まだ早いのに」というブラジル人のお決まりのあいさつだと思い、「いえ、でも赤ちゃんもぐずっていますし、寝たいようですから。あんまり遅くなっても、道中が危ないので。」と言った。 するとドナは「それならしょうがないね。せっかく夕食が用意できているから、じゃあなたたちは先に食べて帰ったらいいよ。」と言ってくれた。 私たちは、「あれっ、夕食は皆まだ食べてなかったんだ?!」とそのときは不思議に思いながら、出された夕食を頂いてから、その場を失礼したのだった。 25日午前零時にナタゥを祝うのがブラジルの慣習なのだ、と認識するに至ったのは、それからまだずい分、後のことだった。 ナターゥを祝うために招かれながら、午前零時を待たずして「もう夜も更けましたから」と言って、その場をおいとまして来たとは、今から思うと、ずい分トンチンカンなことをしたものだ。これは、ブラジル人に言うと必ず大うけする笑い話となっている。 |





